Saudadeヴァージョン・ギルエル

 最後の連合の戦い 前夜 イムラドリス

 最後の連合の戦いの前線基地をイムラドリスに置き、連合軍のそれぞれの主将が集まり、連日会議を行っていた。
 ひとしきりの会議が終わり、それぞれが己の軍に帰っていく。
 残ったのは、人間でエルロンドの友人イシルドゥアと、エルフ王ギル=ガラド。


 連日の会議もやっと終わり、本当ならすぐに帰らなきゃ行けないところを、
エルロンドと最後の打ち合わせをするという理由をつけて、ギル=ガラドは一日帰省を伸ばした。
帰ればまた会議会議だ。一日くらい休ませろ。
 谷を見下ろせる一番上等の部屋で、流れ落ちる滝の水飛沫を、ギル=ガラドは頬杖をついてぼんやり眺めた。
「気に入っていただけましたか?」
 エルロンドの前でそれほど気を張る元気もない。背後からのエルロンドの声に、振り向きもしない。
「海風も心地よいものですが、谷の乾いた空気も悪くありません」
 ギル=ガラドは、ふう、とひとつため息をつく。
「そうだな」
「もし、ここが気に入っていただけたのなら…ここに移り住んでも…」
 エルロンドの、少し戸惑うそんな言葉に、振向き、苦笑する。
「それも、悪くない」
 エルロンドははにかむように、微笑む。
 ま、そんなことはないだろうけど。嬉しそうなエルロンドを見ながら、ギル=ガラドは意地悪に思う。
 なぜなら、私は…
「ギル=ガラド王は、結婚はなさらないのですか?」
「その質問には飽きた」
 少し不機嫌に応える。エルロンドは、眉尻を下げる。
「ですが」
「エルロンド」
 釘を刺すように、声色を強める。昔ならすぐに「申し訳ありません」とかなんとか謝って来たものを。
強くなったものだ。質問を撤回しない。
 まあ、大きな戦争の前だ。強気にもなろう。
「結婚、愛する女性、守りたい家族、そんなものができてしまっては、戦場には赴けない」
 あっさりと答える。
「そうでしょうか。守りたいものがあるから、強くなれるとも思えませんか」
 守りたいもの、か。
「守りたいものね。この、ミドルアースだけで充分重い」
「そうではなく」
 一瞬目を伏せ、昔愛した少年を思い出す。が、すぐに、蝋燭の火を吹き消すように脳裏から追い出す。
「さては、好きな女性でもできたな」
 質問を切り返すと、図星なのだろう、エルロンドは明らかにうろたえた目をする。
「ガラドリエルの娘だろう?」
「え、いえ、あの…」
「かまわんさ」
 めでたいことだ。誰かを好きになり、結ばれるのなら。
 ギル=ガラドは、目を細めてエルロンドを見る。その運命を。
 この戦いには、勝利する。たとえ一時的なものであろうと。
エルロンドは妻を娶り、やがて子も生まれるだろう。それは、未来へと続く希望。
 そうだ。エルロンドは、世界に選ばれたのだ。この世界を生き長らえさせるためのもの。
命を未来に繋ぐ触媒。
 自分は…自分の存在意義は?
「ギル=ガラド王…緑森は、兵を出すでしょうか」
 話の矛先を変えようと、エルロンドは唐突に何度も会議で出た話題を蒸し返す。
会議でその話題が出るたび、ギル=ガラドは「当てにするな」と切り捨ててきた。
「出す」
 だが今は、エルロンドと二人きりだ。本音で話しても問題ない。
否、本音で話しておくべきだろう。
「………確信がおありなのですか」
「オロフェアもアムディアも有能な武将だ。この世界の危機を楽観視してはおらぬだろう。
必ず戦場に出てくる」
 特にオロフェアは、ドリアスではシンゴルの側近を勤めた男だ。
自ら戦いは求めぬ平和主義者ではあるが、「己が守るもの」に対する忠誠心は高く、先見の明もある。
「そして、奴らは死ぬだろう」
 ギル=ガラドが続けた言葉に、エルロンドは顔をしかめた。
「そのような不謹慎な」
「彼らには、守りたいものがある」
「国と民でしょう?」
「違う」
 谷を眺めていたギル=ガラドは、隣りに立つエルロンドを見上げ、ニヤリと笑った。
「彼らには、…ふたりとも、家族がある。息子がいる。彼らの息子らも、もう幼くはない。
戦場に出るだろう。だからだ。わかるか。オロフェアもアムディアも、絶対に守りたいもの。
むしろ、己が生き残って息子を戦死させたら、それこそ悲劇だ。
エルロンド、皆が生き残れるほど、この戦いは楽勝ではない。
ならば、死ぬのはオロフェアでありアムディアなのだよ」
 エルロンドは、手のひらをぎゅっと握る。
「私は、そう願っている」
 ギル=ガラドは、ぼそりと呟いて、また谷に目をやった。
「王………私とて、悲惨な戦場を経験した事がないわけではありません」
 手のひらを握り締めたまま、エルロンドは言葉を搾り出す。
「エレイギオンでの敗北…ケレブリンボール殿に対するあの卑劣な行為…」
 思い出しても吐き気がする。
 ギル=ガラドは、エルロンドの手に触れる。
「オロフェア殿もアムディア殿も、死を覚悟して戦場に出られると、王はお考えなのですね。
私も死を恐れず、戦場に出ます。私には、守りたい家族はおりませんが」
 エルロンドの手を握り、くいと引っ張る。
不意をつかれてエルロンドはよろめき、ギル=ガラドの胸の上に落ちる。
 ギル=ガラドは、まるで母親が幼子にするように、エルロンドを胸に抱いた。
「落ち着きなさい、エルロンド。怒りと憎しみに身を委ねてはいけない。
お前は有能な私の右腕であり、参謀なのだ。お前には家族はない。
が、未来の希望がある。好いた女がいて、心地よい風の吹く己自身で建てた館がある」
 胸の中で渦巻く、黒く重いものが、ふと薄れる。
「エルロンド、なぜ、私が帰郷を一日伸ばしたのか、わかるか」
「………打ち合わせのため…」
「お前と、最後の時間を過ごしたかったからだ」
 え、と顔をあげるエルロンドに、一度軽く口づけし、次に激しく唇を吸う。
息を詰めていたエルロンドは、唇を離したとき、うっとりと吐息を漏らした。



 んー、まあ、本当は別にエルロンドとやるために残ったわけじゃなくて、
ちょっとだけだらだらしたかっただけなんだけど。
 ギル=ガラドは苦笑をかみ殺す。
 でも、じゃあ、やりたくないかと言われれば、
立派になったエルロンドが自分に見せる隙だらけの表情を眺めていると、欲情しないわけでもなくて。
 もうじき始まるこの戦争は、自分にとって、最初で最後の戦いだ。
 始まれば、終るまで何年かかるかわからないし、死ぬかもしれない。
 覚悟はとうにできている。
 この戦いのために、生きてきたのだ。
 たぶん。
 だから、最後にちょっとくらい羽目を外してもいいんじゃないかな。とか思うわけで。
 エルロンドとリンドンで暮らしていた頃は、何度も褥を共にしていた。
キアダンはいい顔をしなかったが。いや、あの頃はちゃんと自制していた。
まだエルロンドはそっちでは無知だったし、てか、まあ、エルロンドの初めてを奪ったのは自分なんだけど。
 大人として、ちゃんとエルロンドが気持ちいいようにしてやってたし。無茶無謀はしなかったし。
しつこくもしなかったし。どちらかといえば、エルロンドの方から求めてくるわけで
(なんて言い訳したら、キアダンに滅茶苦茶怒られた。お前がそういうことを教えたからだと)
だから、正直な話、ほんわりと満足しても、自分的にはちょっと物足りなかったりしたのだけど。
 どんなのが満足かというと、まだ自分が「ギル=ガラド」である前、
シリオンで短い時間を過ごしたシンダールの少年との愛欲に日々
(なんて言うと、またキアダンに怒られるのだけど)若くて幼くて、
まぶしい太陽と白い砂浜に心を躍らせる事ができた、あの短い時間、
一晩中抱き合って、自分の中が空っぽになるまで繋がりあってた、
あれが満足というものなのだろうけど。そんな若かりし頃の再現など、できるわけがない。 
 で、エルロンドには、至極優しくしてきたつもりだ。
 でも、これが最後だし。ちょっとくらい羽目を外してもいいよね?
「ん…」
 寝台の上でうつ伏せ、エルロンドは苦しげに歯を食いしばる。
「痛いか?」
 背中から覆いかぶさり、激しく一突きしてから、ギル=ガラドはエルロンドの耳元で囁く。
エルロンドは、歯を食いしばったまま、僅かに頷く。「そうか」と、その耳に息を吹きかける。
「!」
 衝動に促されるまま、激しく何度も打ち込み、そしてまた唐突に動きを止める。
「私は、気持ちいい」
 そう耳元で囁くと、エルロンドは潤む目をうっすらと開けて、ギル=ガラドを見た。
 ああ、いいな、その目。
 欲情に濡れる瞳。
 一度引き抜いて、エルロンドを仰向けにし、また覆いかぶさって突き刺す。
「いい顔だ。エルロンド、私を見ろ」
「ギル……お…う…」
 喘ぐ唇が、途切れ途切れに名を呼ぶ。
 こんなふうに欲情するのは、久しぶりだ。自分がまだ、こんなふうに欲情するとは、思っていなかった。 
 何度も体位を変え、「空っぽに」なるまで抱き合い、求め合う。
 やっと体が「満足」する頃には、エルロンドはぐったりと寝台の上で放心していた。

 息を切らせるほど運動不足ではない。しかし、情交は、確実に体力と精神力を奪う。
だから、戦いに出る前にこういうことはできない。戦場で足腰立たない、なんて冗談にもならない。
 これから、実際の戦争が始まるまで、何度かエルロンドには会うだろうが、
もうこんな事をしてはいられなくなる。のんびりできるのはこれが最後だ。
いや、ホントは今ものんびりはしていられないのだけど。
 エルロンドも、気を失っているわけではない。
うっとりと余韻に浸りながら、エルロンドの髪を愛しげに撫でるギル=ガラドを見つめる。
「王………いつも…このような情交…を?」
 自分は今までこんなに激しく抱かれた事はなかったけど。
言葉にはしないが、エルロンドがそう言いたいのは伝わる。

(こういうことは、愛し合うもの同士がすることだ!)
 言葉では抵抗しつつ、結局体力的にもいろんな意味でも、
身体は逆らえずにやっちゃってから、スランドゥイルは怒って食って掛かってきたものだ。
(じゃあ、愛してる)
(じゃあじゃない!)
 愛し合うもの同士がすること、だと?
 そんなの、あたりまえじゃないか。こんなに愛しているのに、わからない?

「こういうことは、愛し合うもの同士がすることだ」
 エルロンドの髪を指に絡め、ギル=ガラドは呟く。
「お前がリンドンから出兵してから、私は誰とも肌を合わせていない」
 エルロンドの目が見開かれる。その表情に、ギル=ガラドはちょっとだけ傷つく。
 信用されていなかったんだな。
 遊びで、誰とでもやるわけじゃない。
「…王…」
「愛している、エルロンド。お前を、絶対に、死なせない」
 エルロンドの瞳が、また潤む。
「ギル=ガラド王………愛して…います」